鍋割山山行報告
NO.
日付
山名
参加者
会員 障害者(視障)
2名
健常者
7名
1
平成16年11月6日 鍋割山 合計 10名 会員外 障害者
0名
健常者
1名
  コースタイム:県民の森ゲート(9:10)…二俣(9:40)…二俣分岐(12:15,12:30)…
         小丸(12:30)…鍋割山(山荘)(13:00,13:50)…後沢乗越(15:00)…
         二俣(16:00)…ゲート(16:30)
天候:
曇り

 新宿駅集合組7名と渋沢直行組3名とそれぞれ予定どおり渋沢に集合。予約しておいたタクシーで二俣手前のゲートまで行ってもらう。

これで当初の予定より1時間30分の短縮である。下見の時は、林道を1時間半歩き帰りが真っ暗でとても心細かった為、本番は、タクシーを利用する事にしていた。

 いよいよ二俣から登山道を入っていく。1時間近く歩くとうっすらと汗ばみ、少し見晴らしの良いところで休憩を取る事にする。これから先は、歩きにくくはないが、急坂が待っている。周りを見ると強烈な紅がすくないせいか、パステルカラーの紅葉が味わい深い秋を感じさせてくれる。

 時折ガスがかかり周りの山々が真っ白にかすんで何も見えなくなってくる。標高が高くなるにつれ、春のような日差しになり見晴らしもよく、遠くの山並みが色づいている様子が見えてきた。ゆっくりゆっくり急坂を登りきると右は塔ノ岳、左は鍋割山へと続く二俣分岐に着いた。あと30分ほど歩くと鍋焼きうどんが待っているが早い時間に朝食を食べた者にとっては、どうにもお腹が空いてもたない。木漏れ日が差し込む木立の中で、落ち葉の上に腰を下ろす。急坂を登って来た汗をぬぐい、うどんの入る隙間をおなかに空けておく程度の食料を口にする。あとひと登りで山頂だ。メンバーより10分ほど先に行って、小屋の方にうどんの用意をお願いする事にする。山頂は、下見の時より人が多く座る所を探してみたが、良く見ると鹿の糞だらけ。これには困った。まもなくメンバーが到着し、そのうちベンチが空きうまくテーブルに着く事が出来た。有名な鍋焼きうどんの登場。見晴らしの良い山で食べるうどんは、街で食べた時よりも一味も二味も美味しく感じられた。20年前に皇太子様が登られた時には、鍋焼きうどんをたべなかったそうだ。メロンをお出ししても良いですか?と聞いてお出ししたそうだ。メロンより鍋焼きうどんのほうが食べたかったと、私は思うけど・・・。お腹が一杯になった所で地図を出し、遠くにうっすらと霞がかかった山並みをあれは、あれが蛭ヶ岳、こっちは丹沢山、たぶん向こうに見えるのは、桧洞丸かな?と自信の無い解説をしてみた。「富士山はこっちかなあ?」「あれえあっちじゃないの?」とメンバーは、納得したようなしないような、聞いているのか聞いてないのか。まあいいか。

 もう少しぼうっとしていたいなあというメンバーの声に引きずり込まれそうになるのを抑えて下山開始。後沢乗越まで急坂を下りていく。「リーダー!速いよう。」と後から声がかかる。おっといけない、下山を得意とする視障者のAさんにブレーキをかけ、ゆっくり休憩を取りながら行く事にする。やがて沢沿いを歩き、丸太の一本橋が出てくる。ここが視障者の方達の下りの核心部。しかしそこは、バランスの良いAさんとTさん。難なく通過していくのは、さすがである。橋を渡るとまもなく二俣へ続く林道に出る。

 次の山行の話しをしながらおもいおもいに林道を歩く山仲間アルプ10勇士。そこには、10代から60代までの口八丁手八丁の老若男女。皆で力を合わせ6時間に渡り、鍋割山と戦った勝利の顔があった。理事長に無事下山の報告をし、最後までチームワークの良い十勇士は、意気揚々と夕暮れの居酒屋へと足は、向かっていた。お疲れ様!カンパーイ。

  下見の時から本番の時まで多くの方に力になってもらいました。本当にありがとうございました。

記:中村(浩)

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