実施日 | 場所 | 参加者 | 会員 | 障害者 | 2名 | 健常者 | 9名 |
平成23年11月13日 | しもつけ風土記の丘 | 合計 15名 | 会員外 | 障害者 | 1名 | 健常者 | 3名 |
コースタイム:壬生駅(10:10)…吾妻古墳(10:45-11:05)…丸塚古墳(11:35)… 風土記の丘(12:00-13:05)…思川(14:20)…西光寺(14:45-15:00)… 野州大塚駅(16:10) |
天気:曇り後晴れ | ||||||
今回は、八千代市の広報誌、広報やちよ10月15日号の表紙写真を飾ったKさんが、車椅子で参加だ。下見をしていないので、どんな道が待っているか分からないが、ハードルはみんなで力を合わせて乗り越えていきたいと思っている。
まずは、壬生駅にはエレベータやエスカレータがない。駅員さんが4人来てくださり、Kさんの乗った車椅子を持って、階段を下り、そして上がって改札まで行く。
改札を出たところで、自己紹介を行う。今日は、Kさんの他に、車椅子を押してくださるヘルパーさんと、Tさんの友だちのUさんとNさんが、初参加だ。また、横浜のHさんたち4人も久しぶりの参加で、新鮮でにぎやかになりそうだ。
まずは、吾妻古墳を目指す。踏切を渡り、車道を歩く。カルガモやマガモが泳ぐ黒川を渡り、左に折れていくと、吾妻古墳があった。入口からすぐに土の小径になったが、車椅子で少しだけ入ってみる。
前方後円墳の吾妻古墳の周囲は、お濠になっている。リンドウもまだ咲いていた。野草の種をたくさんズボンに付けて車道に戻る。そこから舗装されていない道を、水たまりに注意して歩く。そこを出ると、工場の周囲に植えられたイチョウ並木が、紅葉しはじめていて美しかった。
ほうれん草畑やブロッコリー畑などが広がるところを歩いていくと、たわわに実ったザクロの木があった。たくさん地面に落ちているので、私たちも、ぱっくり開いた実をいただいて、甘酸っぱいきれいなザクロを食べた。
少し行くと、丸塚古墳があった。この古墳は円墳で、石室への入口があった。丸塚古墳を過ぎて、しばらく行くとしもつけ風土記の丘に到着する。おなかが空いたので、国分尼寺跡の近くで昼食タイムとする。いろんなお菓子が回ってきて、おなかがいっぱいになった。
昼食後は、風土記の丘の中を歩く。まずは天平の丘に行くが、KHさんから電話が入る。どうもはぐれてしまったらしい。しかし、すぐに天平の丘が分かり、合流できた。天平の丘は、古墳を模して作られたものだが、白線の上で手を叩くと、ひびいた音がするのでおもしろい。
風土記の丘の中を歩き、「紫式部の墓」と伝えられている石灯籠を見る。伝えられているだけで、実際に「紫式部の墓」かどうかは、眉唾だ。
風土記の丘からは、国分寺跡を経て、大光寺橋を目指す。県道ではなく、田んぼの中の道を通ったため、今回、ここが一番厳しい道になった。しかし、Kさんは車椅子を電動で動かしたり、みんなで押したりしながら乗り越えることができた。
思川にかかる大光寺橋から川を俯瞰すると、かなり傷ついた大きな魚が何匹もいる。地元の人に聞いてみると、やはりサケだと言うことだ。思川は、利根川から渡良瀬川を経てくる支流のため、利根川を遡上してきたサケということになる。遡上してきたサケを初めて見ることができて感激だった。
かなり長時間歩いたので疲れたが、あまりよい休憩場所がないので、西光寺で休憩することにする。休憩のあとは、最後に立ち寄る予定の大神神社を目指す。大神神社の境内には、日本一の広葉杉(コウヨウザン)があった。日本で一般的に見られる杉よりも葉が広い。広葉杉は中国から江戸時代に渡来したそうだが、中国では広葉杉を杉とよび、日本にある葉の細い杉は柳杉とよんでいるそうだ。
大神神社の脇から道路に出て野州大塚駅を目指す。道標があったが、途中からどうも地図とあっていないように感じて、広い道に出たが、どうも方向感覚が狂ってしまったようだ。ただ、太陽が沈みかけていて、そちらが西なので、私たちは間違った方向に来たことに気づいた。Nさんたちが他の方に聞いてくださったりしたこともあり、私たちは、県道2号線にいることが分かった。
自分たちのいる場所が分かれば、あとは問題なく、野州大塚駅を目指せる。駅の手前で、Mさんは私たちと別れを告げ、知り合いの方の家に立ち寄った。
野州大塚駅のホームに立つと、太陽が西の空へゆっくり沈んでいった。オフロードの道も乗り越え、車椅子で完歩できて本当に良かったと思います。みなさまのご協力に感謝します。
記:網干 |
第29回ふれあいハイキング(しもつけ風土記の丘)報告