涸沢山行報告 |
NO. |
日付 |
山名 |
参加者 |
会員 | 障害者 | 5名 |
健常者 | 9名 |
3 |
平成23年4月29日〜5月1日 | 涸沢 | 合計 16名 | 会員外 (賛助員含む) |
障害者 | 0名 |
健常者 | 2名 |
コースタイム: 4/29 上高地(6:55)…徳沢(9:20-9:30)…横尾(10:35-11:00)…本谷橋(13:05) …涸沢(15:20) 4/30 涸沢(6:50)…白出のコル(10:20-12:40)…涸沢(16:30) 5/1 涸沢(6:40)…本谷橋(8:15)…横尾(9:35)…上高地(13:20) |
天候: 4/29 晴後雪、 4/30 曇り後雨、 5/1 雨 |
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★4月29日 26日の夕方に、涸沢で雪崩があったため、横尾から先が入山規制がしかれたが、今日の朝、解除になったという情報が、横尾で待っているIさんから携帯電話に入ってきた。これで、予定どおり、登山を進めることができそうだ。 上高地で前泊したYさんとバスターミナルで合流し出発する。河童橋から見る穂高連峰は、青空の下、真っ白な峰を輝かせ、すばらしい風景を見せてくれる。今日、明日と天気予報がよいので、気持ちよい登山になるのではと期待が膨らんだ。しかし、山々は真っ白で、2005年に来た時とは、全く様相が違っている。雪崩の情報と共に、今年は非常に積雪が多いので、注意が必要だ。 明神を過ぎ、徳本峠との分岐に行く予定が、道を真っ直ぐ進んでしまい、河原に出てしまった。ルートが変わったのかと思ったが、間違ってきてしまったようだ。途中から、林道に上がり、修正する。 徳沢への林道もところどころ凍っていて、滑らないように注意しながら歩く。すばらしい天気だったが、この頃から穂高方面に雲がかかって、前穂が見えなくなっていた。 徳沢でKさんと合流し、横尾でIさんと合流する。全員揃って、涸沢へと向かう。横尾大橋を渡って、高々と聳える垂壁の屏風岩を左手に見て、山腹を登っていく。ここからは、ほとんど雪の世界だった。 夏道通しに歩き、本谷橋付近で、横尾谷に下りる。2005年の時は本谷橋が出ていたが、今日は全く見えず、本谷橋付近までデブリ(雪崩の跡)が来ていた。 ここからは、デブリの末端や端を回り込むように登るようになる。涸沢側からも横尾本谷側からも、ものすごく大きなデブリが押し寄せていた。 涸沢に入り、デブリの端を登っていく。この時期は、通常なら大きな雪崩は終わっているはずだが、今年はまだまだ注意が必要だ。ブロックの形のはっきりした新しい雪崩れもある。本流の雪渓をえぐるように流れ落ちた大きなデブリがたくさんある中を登っていく。 曇り始めていた天気は、雪が降り始め、霧に包まれるようになってきた。涸沢ヒュッテの旗が見えたのは、100mほど手前になってからだった。 ヒュッテで受付を済ませ、部屋に入る。夕食の時、オーナーの山口さんから話があり、今年の涸沢は例年になく残雪が多く、4月15日に小屋開けの準備に入ってからさらに積雪が増えたそうで、こんなことは初めてのことだったらしい。 入山規制があったことや非常に多い残雪のことを念頭におき、明日は雪崩に注意して登らなければならないことを肝に銘じて、早々に休んだ。 ★4月30日 テント場を過ぎ、少し行くと、長野県警の方が立っていて、雪崩ビーコンを持っているか聞かれた。持っていないと、本来許可できないが、自己責任でということで、通してもらう。登るルートは、奥穂側からの雪崩の心配があるので、小豆沢本流の一番低いところではなく、できるだけ涸沢岳側を取るようにアドバイスされた。しかし、すでに登った人たちは、本流側を登っていた。 カールの底から急な登りにかかった頃、Mさんが腰が痛いと言うことで引き返した。傾斜が緩くなったところで、休憩する。雪崩の危険性があるところを登るため、これ以降は白出のコルの穂高岳山荘まで休憩しないことを告げる。 傾斜は緩くなったが、大きなデブリの上を登るため、決して気は抜けない。デブリを過ぎ、ザイテングラートのすぐ左側を登る。傾斜の緩い小豆沢の本流を登る人はいなくなり、ザイテングラート側の急斜面にトレースが付いている。 我々のゆっくりペースに道を空けろと言うクレームをいう人がいたようだが、雪山はどこでも登れるため、体力のある人は隣を抜いていってくださいと言う。それでもなかなかそうする人がいないので、私がとなりにもう一つトレースを作ることにした。人のトレースを使った方が確かに楽なのだが、雪山に来るパーティーは自らトレースを作ることができなければならないと思うのだが、経験豊かなリーダーがあまりいなかったのではないかと思う。 急斜面を登っているうちに、前と後の差が付いてきたが、急斜面を超えるとコルは近いので、前のグループはそのまま登っていく。そして、最後のトラバースにかかると、視界を遮る地吹雪に見舞われた。まずは私がコルにつき、KTさんたちを迎えに行く。 コルに着いたKTさんたちと別れ、後のグループを迎えに行く。どうも、Fさんが雪山が不慣れで、足を取られて遅れているようだった。それでも、ゆっくり登って、全員白出のコルに到着した。しかし、この頃には、すでに視界がかなり悪くなっていた。 穂高岳山荘に着くと、30分以上先に着いたMMさんたちが外で震えて待っていた。中に入って待っていて良かったのにと思ったが、小屋がやっていないという話をした人がいたらしい。除雪車が作業をしているのに、そんなはずはないのだが、間違った情報には困ったものだ。 すぐに小屋に入り、暖を取る。ここで1時間以上ゆっくりしたが、もっと早く下るべきだったことが一つの反省点だった。 小屋の外から入ってきた女性の登山者が、霧が深くて下山ルートが分からないので、一緒に下って欲しいと言ってきた。了解したが、結局は、我々より後に下る人たちと一緒に下ることにしたとのことだ。 下る方向は決まっているので、小豆沢へと入っていく。同じ小豆沢でもできるだけ奥穂側に近づかないように下っていく。 上の方からさらさらと小さな表層雪崩が起きている状態で、少しでも早く下らなければならない。しかも、大きな雷が聞こえ始めてきた。雷の音で雪崩が誘発されないか、さらに心配が深まる。 私が先頭でしばらく下った頃、上の方からHKさんの「助けてー」という声が聞こえた。何があったのかと思い、他の人たちには先に下っていてもらい、私は上に登り返していく。HKさんは、FさんとHさんが厳しい状況だという。さらに登って追いついてみると、体力的にばてているような状態ではなかったので、ザイルを出して3人がアンザイレンして下ることにした。その後は順調に下り、前のグループに追いついた。 前のグループでは、下りの苦手なKGさんが腰が引けて早く下ることができないでいた。KGさんにスリングを繋ぎ、Iさんに持っていただいて、安全だから思い切って下りましょうと声をかけながら下る。それでも時間がかかったが、涸沢カールに降り立ち、雪崩の恐怖から開放された。 ★5月1日 今日は傾斜が緩いので、大丈夫だと思っていたが、KGさんは緊張して足がスムースに出ていない。それで、ザックをKRさんに持ってもらうことにする。しかし、重すぎるので、中身を分担しようと意見が出たが、沢の途中にいるのは常に雪崩の危険が伴うため、荷物を分担しあう時間を使いたくなかった。それで、雪の上をザックを滑らせていけば良いと思い、KGさんに了解を得て、私がザックを引っ張っていくことにした。さすがにザックは雪の上を順調に滑ってくれた。 雪崩が起きないか、常に後や左右に気を配って下ったが、ようやく横尾本谷との合流点となり、本谷橋まで来た。まだまだ転落などの心配はあるが、雪崩の恐怖からは開放された。 横尾尾根をトラバース気味に下る道から河原に下りてホッと一安心。雨も小降りになってきた。 横尾で、これからさらに一人で槍ヶ岳を登るというYさんと別れ、15人は上高地へと向かって歩きはじめた。サルの姿を見たり、ゴジュウカラの囀りを聞いたりしながら、上高地に到着し、アルペンホテルで汗を流して、新島々行きのバスに乗り込んだ。 今回は、計画そのものを含めて、反省点が多々あったが、会員外で参加したお二人から「楽しかった」と言っていただけて、救われた思いだった。厳しい状況の中で、協力してくださったみなさまに心から感謝申しあげます。 記:網干 |