ひたち1号に乗って日立駅で降りる。日立駅に降り立ったのは、20年ぶりくらいだろうか? 駅が建て替えられていてビックリした。以前は、どこからも海は見えず、海が間近にあるとは思いもしなかったが、ガラス張りとなった新しい駅からは、真っ青な海が一望の下に見える。駅前の様子もがらりと変わり、昔、昼食を食べた古びた食堂はなくなり、広いロータリーとなって、駅舎の下にはコンビニなどが店を構えている。しかし、駅前通りの桜並木は、昔のままだった。(ように感じた)
日鉱記念館前で下車する。昔、国体の合宿を御岩山付近で行っていたとき、金曜日の夜にこのバスに乗って山に向かった。バスに乗る人は、仕事を終えてみんな家路の途中なのに、自分は一人でバスを降り、ヘッドランプの明かりを頼りに蜘蛛の巣を払いながら山に登っていく。「自分はどうしてこんな馬鹿なことをしているんだろう」と、加藤文太郎のような感傷に浸っていたことを思い出す。
日鉱記念館でトイレを借していただき、管理している方から大煙突にまつわるエピソードを聞かせていただく。建設中に500フィート煙突を外国に作られたので、511フィートにした話とか、煙突が倒れるときは山側に倒れるように設計していたとか、煙突を作るための足場はすべて木で作ったものだとか、とても興味の持てるエピソードだった。
さて、問題は登山道探しだ。地図に書かれている登山口に行ってみると、かすかに踏み跡らしいものがあるが、草は生い茂り蜘蛛の巣だらけで、人が歩いた形跡はない。この道はやめて別の道を探す。地図だと稜線から道が下りてきて途中で消えている道がある。また、進入禁止になっている道路があるが、それは地図には書かれていない。道路はゲートでしっかり塞がれているので入れないが、少し先に階段があるのでそれを登って道路に上がる。
なかなか稜線から下りている登山道に行き当たらないが、この道路は、本山トンネルができる前の旧道らしいことが分かってきた。それならこの道を上がっていくと、登山道に行き当たるだろうと思って登っていったら、案の定、登山口の標識を見つけた。とりあえずこれで一安心。しかし、あまり人に歩かれていない様子で、よい道とは言いがたかった。
それでも、高鈴山からの道と合流すると、しっかりした道となる。あとは、登山道を登って行きだけだ。ただ、ここも地図にはないいろんな道がある。間違わないように、地図を見て、進んでいく。
途中で、樹林の切れ目から奥久慈男体山らしい山が見えた。南側が切れ落ちている山だ。その右奥には茨城県の最高峰、八溝山も見えていた。
登山道は全体に赤土で滑りやすい。注意して登っていく。ヤマジノホトトギスが咲き、リョウブのことが書かれた説明板が出てくると神峰山の山頂は近い。山頂からは、日立の町と、大煙突が見えた。今は1/3の高さになった大煙突だが、まだ煙が上がっている。山頂には、ゲンノショウコやミズヒキが咲いていた。
神峰山から次のピーク、羽黒山を目指して歩く。羽黒山の山頂でお昼にしようと思っていたが、山頂標識以外、ベンチも展望もなく、地面も濡れているので、昼食は大煙突展望台で取ることにした。すぐに山頂を後に出発する。
ここから一旦、コルのようなところにおり、緩やかに登り返していく。何度か送電線の下を通る。蛇塚にはいわれの説明板があり、近くに大蛇の死骸を埋めた上に立てられたという石碑があった。
そのすぐ先に、大煙突の展望台があった。階段を登っていくと草原状のところに出る。人工の展望台はないが、草の上に座って食べられるので、ここでお昼とする。目の前に、1/3になった大煙突が立っていた。その右奥には鉄塔がたくさん建っている高鈴山も見えていた。
昼食後は、緩やかに下り、鞍掛トンネルの上を通過し、一旦車道に下りる。ここからの登り返しの階段が、今日一番の急登だった。鞍掛山を通過し、神峰公園へと下っていく。昔は、静かな公園だったここも、観覧車ができたりして遊園地のようになっていた。
車道を下り、目の前に広がる太平洋と青空を楽しみながら、バス停を目指す。予定のバス停より一つ手前のバス停だったが、予定のバスに乗り込み、日立駅へと向かった。
記:網干 |